リリース:1989年5月21日
レーベル:ソニー・ミュージックレコーズ
ダイナソーからホコ天へ。
振れ幅大き目ですが まあ、ホコ天行ってたのは中学生の時なので。
洋楽に目覚める前なので。
今日、氷魚くんがパパになるというニュースを見て「MIYAがおじいちゃんになる!」とMIYAファン視点で喜んでおります。
つい最近、MIYAが元気になって今度ライブをするって記事を読んだけど、きっとこれがきっかけなのではと推察しています。
おめでとう!MIYA。あと明日誕生日だね。
なにから書いたらいいかわからないくらい情報過多すぎる青春時代はTHE BOOMとともにあったといえます。
MIYAに会った日のことも結構鮮明に覚えてる。
まだファンの子も10人ちょっとくらいのホコ天でMIYAがチケットを差出し「ライブに来てよ」って営業されました。たしか1500円くらいだったと思う。
当時、原宿のラフォーレ沿いにあった”ロサンゼルス”ってライブハウスが私のライブハウスデビューでした。
あの時、ホコ天でこの曲を聴いて思わず立ち止まった 自分の判断は正解だった。
MIYAから買った黄色いチケットを握りしめて放課後、竹下通りを全力で走った。
「きみに会いにいくよ」と。
ロックバンドのサクセスストーリーの王道渋谷のEgg-manから 目の前の渋公へ。
そして武道館へっていうのをもれなく一緒に経験させてもらいました。
この時はもう人気者になってたけどシークレットでホコ天をやったこともあった。
BOOMきっかけで矢野顕子も2TONE SKAもフォークも知って音楽の幅がどんどん広がった。
いろんな音楽を吸収したくて貪欲に聴く努力をしてたけど今ならサクッと聴けるんだなーって。
でも逆にあの頃サブスクがあったらひとつひとつを真剣に聴かなかったかもしれない。
ところで、「A Peacetime Boom」という1stアルバムですがジャケットがすごくいいよね。
代々木公園で撮影してたな。
1stのジャケットをハービー山口さんが撮るなんて当時の音楽業界の熱さを感じるわ。
この女の子は確かレナちゃん。ライブにも来ていたな。今なにしてるんだろう。
思い返すと、きちんと青春していて我ながら微笑ましくて良い。
この後はスピッツにはまって新宿LOFT(小滝橋通りの頃の)に通い出すのですが。
その話はまた今度。