TBSドラマ『不適切にもほどがある』がおもしろい。
毎回グワッっと笑えるセリフがあってたまらない。
クドカンの半歩先を先取りする嗅覚キャッチ能力もそれを披露するタイミングの絶妙さも神がかってる。
来週の最終回がどうなるのか楽しみ。
ドラマの主人公は1986年から令和にタイムスリップする設定。
1986年というと私は中学入学の年。
入学式から帰ったらトップアイドルの衝撃的すぎるニュースを聞いたのが今でも忘れられない。
そんな1986年の音楽シーンはどんな感じだったか自分の記憶と照らし合わせて思い返してみました。
時代の音楽シーンを知る上で欠かせない音楽番組、それはもちろん「ザ・ベストテン」
ベストテンのWikipediaによると
“1986年春頃からテレビ番組出演を必要としない
アーティスト系もランキングされるようになり
欠席が相次ぎ空席が目立つようになる”
とあるように、それまでランキングを占めていた歌謡曲からバンドサウンド、ニューミュージック
が音楽シーンの主流へと移り変わる転換期だったよう。
1986年のザ・ベストテン年間ベストテンは以下の通り
注目は渡辺美里の「My Revolution」が5位にランクインしていること。
それまでテレビで見るアイドルがスターの象徴だった若者は自分で自分を表現するミュージシャンという存在を知って、その軸を持った強さと、媚びない姿勢に魅かれていった。
そこにあらわれた渡辺美里という女の子はアイドル並みのルックスでそれをやってのけるわけなので
人気が出ないはずがなかった。
景気がぐんぐん良くなったことも相まって「本物」とか「本格派」とか、そんなキーワードでお金も人も動く時代だった。
能動的なベクトルが動き始めた印象の1986年。
ちなみに一年前の1985年のザ・ベストテン年間トップテンはどうだったのでしょう。
トップアイドルのランクインにもじわじわ陰りが見え始めた1985年は「板東英二ですらモテた」でおなじみの”金妻”の主題歌「恋におちて」が7位にランクイン。
さて、中学生になった私はというと中学生になったお祝い+誕生日プレゼントとして年末ごろに秋葉原に行ってCDコンポを買ってもらいました。
お店の人がCDを一枚おまけでつけてあげるというのでドキドキしながら選んだのはコレ。
ジャケットのカッコよさにも魅かれた。
その後も信藤三雄さんがジャケットを手がけるCDを何枚もコレクションすることになるのだけど見事に刷り込み効果ってやつですね。
昨年お亡くなりになりとても残念です。
歌謡曲が徐々に下火になりアーティストという存在に注目が集まりだしてCDという新しいメディアが一般家庭にも普及し始めた1986年。
1986年の音楽に関する具体的な出来事を調べてみましたのでどうぞ。
■レベッカ「フレンズ」年間ランキング30位
リリースは85年なので年をまたいだロングヒットとなる
■チェッカーズ「NANA」リリース 初の藤井兄弟作詞作曲によるシングル
この曲以降 バンドメンバーでのソングライティングになる
■聖飢魔Ⅱ「蠟人形の館」リリース オリコン最高17位
■米米CLUB「Shake Hip!」リリース
■バービーボーイズ 4月「負けるもんか」
11月「なんだったんだ?7DAYS」リリース 11月4日に武道館公演
■久保田利伸「失意のダウンタウン」でデビュー
■TMネットワーク「Come on Let’s Dance」リリース
■岡村靖幸「Out of Blue」でデビュー
■プリンセスプリンセス「Kissで犯罪」でデビュー
■BOØWY「BEAT EMOTION」リリース
オリコン初登場1位 売上累計120万枚
■音楽番組 「VIDEO JAM」 テレビ朝日で放映開始
■音楽番組 「Live TOMATO」 TVKで放送開始
■音楽番組 「ミュージックステーション」テレビ朝日系で放映開始
この後にバンドブームがきてCDが100万枚、200万枚と売れる時代になって景気が良くて華やかな音楽シーン到来の時期に青春時代を過ごせたことはラッキーだったと気づきました。
あの頃に音楽業界を作っていた方々本当にありがとうございます。
いろいろこじらせているけれど私は元気です。
ドラマの中で阿部サダヲ扮する市郎さんが「全部その中に入ってんだね、思い出。なくしたら大変だ」とスマホを指して言ってて自分はきんちゃくの中に大事な思い出を入れて持ち歩いているというシーンがあった。
さりげないシーンだったけどすごく刺さりました。
市郎さんのきんちゃくの中身が私にはCDでたまにひっぱり出して歌詞カードめくってはニヤついている。
そんな昭和が染みついた50歳に「不適切にもほどがある」が刺さらないわけないのよ。
あ~、私も昭和に帰ってトゥナイト見た~い。